「計量計測データバンク」サイトマップ measure and measurement data bank of saite map

計量計測データバンク ニュースの窓-494-
宇沢弘文 ― 数理経済学から社会的共通資本概念形成へ
News material content collection of metrology databank №494

計量計測データバンク ニュースの窓-494-
宇沢弘文 ― 数理経済学から社会的共通資本概念形成へ
2026年10月9日 · @横田俊英


見ていた青春「神田学生街の一九七〇年」-改訂版5稿-2026年10月09日・@森夏之

計量計測データバンク ニュースの窓 目次
計量計測データバンク ニュースの窓 目次 1
計量計測データバンク ニュースの窓 目次 2
計量計測データバンク ニュースの窓目次 3

計量計測データバンク ニュースの窓-494-
├
├計量計測データバンク ニュースの窓-494-宇沢弘文 ― 数理経済学から社会的共通資本概念形成へ 2026年10月9日 · @横田俊英
├見ていた青春「神田学生街の一九七〇年」-改訂版5稿-2026年10月09日・@森夏之
図解:社会的共通資本
 

図は横田俊英の作成。社会的共通資本は、自然環境、社会的インフラストラクチャー、制度資本の三つからなる。宇沢の議論の要点は、それを市場にも官僚にも委ねず、社会から信託された職業的専門家が管理するところにある。各柱の下段には、その分野で宇沢が展開した主な議論を示した。

宇沢弘文 ― 数理経済学から社会的共通資本概念形成へ 2026年10月9日 · @横田俊英

宇沢弘文 ― 数理経済学から社会的共通資本概念形成へ

· @横田俊英

はじめに

宇沢弘文(うざわ・ひろふみ、1928〜2014)は、若くして米国で数理経済学の第一人者となり、帰国後は市場万能の経済学を批判して「社会的共通資本」という構想を掲げた経済学者である。一般には『自動車の社会的費用』(岩波新書、1974年)の著者として知られる。

本稿は、先にまとめた川島武宜の文書と同じ形で、宇沢の生涯と業績を論述する。前半生の理論経済学者としての仕事と、後半生の社会的共通資本をめぐる思想と実践を、一つの流れとして読み解く。

宇沢の仕事を貫くのは、経済学は人間の尊厳を守り、人々を幸福にするためのものでなければならないという問題意識である。その立場から、市場に任せてはならないもの(自然、道路、教育、医療など)を社会全体で管理する仕組みを構想した。

生涯と経歴

宇沢弘文は1928年7月21日、鳥取県米子市に生まれた。父は小学校教師だった。府立一中(現在の日比谷高校)と旧制第一高等学校を経て、1951年に東京大学理学部数学科を卒業した。数学科では彌永昌吉に数論を、末綱恕一に数学基礎論を学んだ。

その後、戦後の貧困や社会問題への関心から経済学に転じた。そのきっかけとしては、河上肇『貧乏物語』に感銘を受けたという話がよく知られている。統計数理研究所、朝日生命のアクチュアリーを経て、独学で書いた論文をケネス・アローに送ったところ、それが認められ、1956年にスタンフォード大学の研究員として渡米した。

米国では、スタンフォード大学で助手・助教授・准教授を務め、カリフォルニア大学バークレー校でも教えた。1962年には東北大学から経済学博士を取得している。1964年には36歳でシカゴ大学経済学部教授となった。

1968年に帰国して東京大学経済学部助教授となり、1969年に教授、1980年に経済学部長を務めた。1989年に東大を定年退官した後は、新潟大学経済学部教授、1994年に中央大学経済学部教授となった。1999年に中央大学を定年退職した後も、国連大学高等研究所の特任教授などを務め、2003年には同志社大学社会的共通資本研究センターの所長となった。中央大学と同志社大学で教えたのは、川島武宜ではなく宇沢である。

栄誉も多い。1976〜77年には計量経済学会(Econometric Society)の会長を務めた。1983年に文化功労者、1989年に日本学士院会員、1995年に米国科学アカデミー客員会員、1997年に文化勲章、2009年にブループラネット賞を受けている。2014年9月18日、肺炎のため東京都内で没した。86歳だった。

数理経済学者として

米国時代の宇沢は、数学の力を生かして経済理論の基礎を固める仕事を次々と発表した。その範囲は、最適化の数学、市場の安定性、消費者の選好、生産と貿易、経済成長と広い。

まず、アロー、ハーヴィッツとの共同研究で、線形・非線形計画法(1958年)や制約条件の扱い方(1961年)を研究した。これらは、企業や消費者が制約の下で最もよい選択をするという経済学の基本問題を、数学的に厳密に解くための道具となった。また、二階堂副包との共同研究などで、市場の価格調整(ワルラス的調整過程)の安定性も論じている。博士論文もワルラスの一般均衡理論に関するものである。

もっとも知られた業績は、二部門成長モデル(1961年、1963年)である。経済を「消費財をつくる部門」と「資本財をつくる部門」に分け、その関係から経済成長の道すじを分析した。宇沢自身は、この発想がマルクス『資本論』第二巻の再読から生まれたと述べている。1964年にはその最適化版も示した。このほか、中立的な技術進歩と成長均衡の関係(1961年)、CES生産関数(1962年)、最適な技術進歩(1965年)に関する論文がある。1965年の論文は、教育による人的資本の蓄積を成長の源泉とみるもので、のちにルーカスが発展させた「宇沢=ルーカス・モデル」の土台となった。

国際経済学では、保護関税の下での資本流入がかえって経済厚生を悪化させ得るという「宇沢=浜田の命題」も示した。さらに、ヴェブレンの制度学派の読解から、企業の成長には調整費用が伴うという「ペンローズ効果」の理論も展開した(1966〜69年)。

シカゴ大学やスタンフォード大学では、後にノーベル経済学賞を受けるジョセフ・スティグリッツやジョージ・アカロフ、成長理論のデイヴィッド・キャスらが宇沢のもとで学んだ。宇沢自身もノーベル賞に最も近い日本人経済学者と言われた。

転回:ベトナム戦争と帰国、新古典派批判

宇沢は1968年、シカゴ大学教授の地位を捨てて日本に戻った。その理由の一つは、米国のベトナム戦争への加担への反発であったとされる。特に、米国の経済学者が費用便益分析を使って戦争の「効率」を計算していたことを、宇沢は後に『近代経済学の再検討』(1977年)で厳しく批判した。

帰国後の宇沢は、自らが築いてきた新古典派経済学そのものを問い直していく。新古典派の成長理論は、市場経済が安定的な成長の道をたどることを前提にしている。宇沢はこの前提を疑い、現実の経済は本来不安定で、ケインズ的な失業を伴うと論じた。『ケインズ「一般理論」を読む』(1984年)や『近代経済学の転換』(1986年)は、その批判の成果である。

この批判は、特にシカゴ時代の同僚ミルトン・フリードマンらの市場原理主義に向けられた。宇沢は、過度な市場競争は格差を広げ、社会を不安定にすると反論した。ただし宇沢は、社会主義・マルクス主義にも批判的であった。『経済学の考え方』(1989年)では、ソ連型の体制も批判している。市場も国家も万能ではないという立場から、第三の道として「社会的共通資本」の構想が生まれた。

『自動車の社会的費用』

『自動車の社会的費用』は1974年に岩波新書として刊行され、ベストセラー、ロングセラーとなった。宇沢の一般向け著作の中でもっとも知られた本であり、社会的共通資本の考え方を初めて具体的な問題に当てはめた仕事でもある。

背景

1968年に帰国した宇沢が目にしたのは、高度経済成長の下で公害や自然破壊が頻発し、歩道も整っていないまま無秩序なモータリゼーションが進む日本の姿であった。宇沢自身、東大教授時代には電車も車も使わず、自宅からジョギングで通勤していたという。

主張

宇沢は、自動車が交通事故、公害、環境破壊などの形で大きな「社会的費用」を生んでいると論じた。それらは、健康や安全に歩くことといった「市民の基本的権利」を侵害し、人々に取り返しのつかない損失を与える。ところが、自動車の利用者が負担しているのはそのごく一部にすぎない。運転の費用が低すぎることが問題の根源であり、社会的費用を利用者に負担させる(内部化する)べきだというのが宇沢の主張である。

試算の方法と数字

宇沢の試算は、被害額を積み上げる方法をとらなかった。その代わりに、市民の基本的権利を侵害しないように道路や都市の構造を造り替えるために必要な費用を算定した。歩道と車道を分け、両側に緑地帯を設けるような、人間を優先した道路を整備する費用である。その結果、当時の物価で自動車1台あたり毎年約200万円という額が示された。この結論は事実上、自動車の保有を大きく制限すべきだという意味をもち、社会に衝撃を与えた。

この試算の方法は、「何を市民の権利として守るべきか」という社会的な基準を先に決め、そこから費用を導くという点で、従来の費用便益分析とは発想が異なる。宇沢がベトナム戦争での費用便益分析の使われ方を批判したことともつながっている。しかし本書では、この約200万円という額がどのような項目と数値の積み上げから導かれたのか、その内訳は事実上示されていない。道路をどれだけの延長にわたってどのような構造に造り替えるのか、その費用をどう自動車の台数で割り付けたのかを、読者がたどって検証することはできない。結論の数字が社会に大きな衝撃を与えただけに、その根拠が示されていないことは、この本の物足りなさと言わざるを得ない。

社会的共通資本の理論

宇沢は1972年ころから「社会的共通資本」を提唱し、生涯を通じてその理論を深めた。一般向けの集大成が『社会的共通資本』(岩波新書、2000年)であり、英文では Economic Analysis of Social Common Capital(Cambridge University Press、2005年)にまとめられている。

定義と三つの種類

社会的共通資本とは、人々が豊かな経済生活を営み、優れた文化を展開し、人間的に魅力ある社会を安定的に維持するための社会的な装置である。宇沢の言葉では、それは「共通の財産として社会的な基準にしたがって管理、運営される」ものである。宇沢はこれを三つに分けた。

第一は自然環境で、大気、水、森林、海洋、土壌などがこれにあたる。第二は社会的インフラストラクチャーで、道路、交通機関、上下水道、電力・ガスなどである。第三は制度資本で、教育、医療、金融、司法、行政などの制度を指す。

誰が管理するのか

宇沢の構想の特徴は、管理の担い手にある。社会的共通資本は、市場の利潤動機に委ねても、官僚的な国家管理に委ねてもならない。それぞれの分野の職業的専門家が、専門的な知見と職業的規律にしたがって、社会から信託されたものとして管理すべきだと宇沢は考えた。医療であれば医師が、教育であれば教師が、一人ひとりの尊厳を守るという職業的倫理に基づいて運営する、という考え方である。

この発想の根には、米国の制度学派経済学者ヴェブレンがいる。宇沢はヴェブレンについての著作(『ヴェブレン』、2000年)もあらわし、市場経済を制度の中に位置づけるその視点を引き継いだ。

実践:成田、地球温暖化、教育・医療・農業

宇沢は書斎にとどまらず、社会的共通資本の考え方を現実の問題に当てはめようとした。

成田空港問題

成田空港(三里塚)をめぐる国と反対同盟の長い対立で、宇沢は経済学者の隅谷三喜男を団長とする「隅谷調査団」の団員として活動した。調査団は1991年11月から「成田空港問題シンポジウム」を主宰し、国、空港公団、千葉県、反対同盟の四者が初めて一堂に会した。その後の「成田空港問題円卓会議」とあわせて約3年に及ぶ話し合いを経て、二期工事の滑走路計画を白紙に戻して地域と話し合うよう求めた隅谷調査団の所見を関係者全員が受け入れ、対立の構造は解消に向かった。宇沢はその経験を『「成田」とは何か:戦後日本の悲劇』(岩波新書、1992年)にまとめている。宇沢は水俣病問題の解決にも関わった。

地球温暖化と比例的炭素税

宇沢は早くから地球温暖化に警鐘を鳴らした。『地球温暖化を考える』(岩波新書)と『地球温暖化の経済学』(岩波書店)はいずれも1995年の刊行で、英文では Economic Theory and Global Warming(Cambridge University Press、2003年)がある。宇沢は、先進国の浪費的な豊かさの追求と途上国の貧困の両方が地球環境を壊していると論じた。

そこで宇沢が提案したのが「比例的炭素税」である。一律の炭素税では途上国の経済発展を妨げるため、税率を各国の一人あたり国民所得に比例させる。さらに、その税収から植林への補助金を差し引いた額の一部を「大気安定化国際基金」に拠出し、途上国の熱帯雨林の保全や農村の維持、代替エネルギーの開発に配分する構想も示した。この構想は経済学者から支持されたが、政策としては採用されていない。こうした業績が評価され、2009年にニコラス・スターンとともにブループラネット賞を受けた。

教育・医療・農業

制度資本としての教育と医療にも、宇沢は強い関心を寄せた。『日本の教育を考える』(岩波新書、1998年)では、故郷の鳥取県を想定して、教育と医療を中心とする「公園都市」や、介護・リハビリ施設を中心とする「医療公園」の構想を提示した。農業と農村も自然と文化を守る社会的共通資本として重視し、晩年の2011年には「TPPを考える国民会議」の代表世話人となっている。

評価と批判

宇沢は、理論経済学者としては国際的に最高水準の評価を受けた。計量経済学会の会長を務め、文化勲章を受け、門下からは複数のノーベル賞受賞者が出ている。二部門成長モデルや宇沢=ルーカス・モデルは、今日も成長理論の教科書に載る基礎的な構造である。

一方、帰国後の社会的共通資本の構想については、評価が分かれる。主流派の経済学者からは、理念は理解できても制度設計としては具体性に欠ける、「職業的専門家による管理」はその専門家自身の利害をどう抑えるのか、といった疑問が出されてきた。『自動車の社会的費用』の1台約200万円という試算も、前提となる「市民の基本的権利」の基準の置き方で額が大きく変わる。そのうえ、本書には試算の内訳が事実上示されておらず、数字の根拠を検証できない。宇沢が市場主義に背を向けたことで、経済学界の主流から孤立したとも言われる。

ただし、地球環境問題や格差の拡大が深刻になるにつれ、宇沢の議論は再評価されている。自然や公共サービスを市場に任せず社会で管理するという考え方は、今日のSDGsやコモンズ論を先取りしていたと評される。没後の2015年には故郷米子市で「よなご宇沢会」が設立され、宇沢の思想を継承する活動が続けられている。

川島武宜との対比

宇沢弘文と川島武宜は、分野も世代も異なるが、いくつかの点で重なり合う。二人とも東京大学の社会科学者であり、文化功労者となった。本稿作成のきっかけも、川島が中央大学と同志社大学で教えたという記憶が、実は宇沢の経歴だったという混同であった。

思想の面でも共通点がある。川島は、家や村の共同体から個人を自立させ、権利の主体とすることを戦後民主化の課題とした。宇沢も、『自動車の社会的費用』で「市民の基本的権利」を出発点に置き、一人ひとりの人間の尊厳を経済の上位に置いた。

ただし、共同体へのまなざしは対照的である。川島にとって村落共同体は、個人を縛る前近代的なものであり、入会権の「解体」は近代化の過程として理論化された。これに対し宇沢は、自然や地域の資源を共同で管理する仕組みを、市場の暴走から人間を守るものとして積極的に評価した。川島の入会権論をめぐって近年コモンズ論から出ている問い直しは、宇沢の社会的共通資本の考え方と同じ方向を向いている。個人の自立を重んじた川島と、共同で守るべきものを重んじた宇沢を並べると、戦後日本の社会科学が「近代」をどう捉えてきたかの二つの面が見えてくる。

主要著作と参考文献

主要著作

宇沢の日本語の著作は、帰国後の1970年代に始まる。まず1974年に『自動車の社会的費用』、1977年に『近代経済学の再検討:批判的展望』を、いずれも岩波新書として出した。1980年代には、新古典派批判とケインズの再評価を示した『ケインズ「一般理論」を読む』(1984年)、『近代経済学の転換』(1986年)、『公共経済学を求めて』(1987年)、『現代日本経済批判』(1987年)を岩波書店から、専門書『経済動学の理論』(1986年)を東京大学出版会から刊行した。1989年には『経済学の考え方』(岩波新書)と『「豊かな社会」の貧しさ』を出している。

1990年代には、実践的な問題への取り組みが著作に現れる。『「成田」とは何か:戦後日本の悲劇』(1992年)、『地球温暖化を考える』(1995年)、『日本の教育を考える』(1998年)はいずれも岩波新書であり、専門書として『地球温暖化の経済学』(岩波書店、1995年)がある。2000年には集大成ともいえる『社会的共通資本』(岩波新書)と『ヴェブレン』(岩波書店)を出した。英文では、Economic Theory and Global Warming(2003年)と Economic Analysis of Social Common Capital(2005年)をいずれも Cambridge University Press から刊行している。

晩年には、『経済学と人間の心』(東洋経済新報社、2003年)、『経済学は人びとを幸福にできるか』(同、2013年)、『経済と人間の旅』(日本経済新聞出版社、2014年)と、一般の読者に向けた本を出した。没後には『宇沢弘文の経済学:社会的共通資本の論理』(2015年)、『宇沢弘文 傑作論文全ファイル』(2016年)、『人間の経済』(新潮新書、2017年)が刊行されている。

参考文献

経歴と著作は主に宇沢弘文(Wikipedia)によった。理論的業績はHistory of Economic Thought の宇沢の項目を参照した。社会的共通資本、比例的炭素税、『自動車の社会的費用』の試算については、旭硝子財団ブループラネット賞2009年受賞者紹介、科学ポータルの記事、RIETIのコラムを参照した。成田空港問題のシンポジウムと円卓会議の経過は成田国際空港株式会社の説明により、教育・医療の構想はプレジデントオンラインの記事を参照した。

「評価と批判」の節のうち、社会的共通資本への批判は、一般に指摘される論点を整理したものであり、特定の批判者の論文は今回確認できていない。『自動車の社会的費用』の試算の内訳が示されていないという点は、筆者が同書を読んだうえでの判断である。

[図表で示す社会的共通資本概念]
宇沢弘文 ― 数理経済学から社会的共通資本概念形成へ  · @横田俊英

はじめに

宇沢弘文(うざわ・ひろふみ、1928〜2014)は、若くして米国で数理経済学の第一人者となり、帰国後は市場万能の経済学を批判して「社会的共通資本」という構想を掲げた経済学者である。一般には『自動車の社会的費用』(岩波新書、1974年)の著者として知られる。

本稿は、先にまとめた川島武宜の文書と同じ形で、宇沢の生涯と業績を論述する。前半生の理論経済学者としての仕事と、後半生の社会的共通資本をめぐる思想と実践を、一つの流れとして読み解く。

宇沢の仕事を貫くのは、経済学は人間の尊厳を守り、人々を幸福にするためのものでなければならないという問題意識である。その立場から、市場に任せてはならないもの(自然、道路、教育、医療など)を社会全体で管理する仕組みを構想した。

生涯と経歴

宇沢弘文は1928年7月21日、鳥取県米子市に生まれた。父は小学校教師だった。府立一中(現在の日比谷高校)と旧制第一高等学校を経て、1951年に東京大学理学部数学科を卒業した。数学科では彌永昌吉に数論を、末綱恕一に数学基礎論を学んだ。

その後、戦後の貧困や社会問題への関心から経済学に転じた。そのきっかけとしては、河上肇『貧乏物語』に感銘を受けたという話がよく知られている。統計数理研究所、朝日生命のアクチュアリーを経て、独学で書いた論文をケネス・アローに送ったところ、それが認められ、1956年にスタンフォード大学の研究員として渡米した。

米国では、スタンフォード大学で助手・助教授・准教授を務め、カリフォルニア大学バークレー校でも教えた。1962年には東北大学から経済学博士を取得している。1964年には36歳でシカゴ大学経済学部教授となった。

1968年に帰国して東京大学経済学部助教授となり、1969年に教授、1980年に経済学部長を務めた。1989年に東大を定年退官した後は、新潟大学経済学部教授、1994年に中央大学経済学部教授となった。1999年に中央大学を定年退職した後も、国連大学高等研究所の特任教授などを務め、2003年には同志社大学社会的共通資本研究センターの所長となった。中央大学と同志社大学で教えたのは、川島武宜ではなく宇沢である。

栄誉も多い。1976〜77年には計量経済学会(Econometric Society)の会長を務めた。1983年に文化功労者、1989年に日本学士院会員、1995年に米国科学アカデミー客員会員、1997年に文化勲章、2009年にブループラネット賞を受けている。2014年9月18日、肺炎のため東京都内で没した。86歳だった。

数理経済学者として

米国時代の宇沢は、数学の力を生かして経済理論の基礎を固める仕事を次々と発表した。その範囲は、最適化の数学、市場の安定性、消費者の選好、生産と貿易、経済成長と広い。

まず、アロー、ハーヴィッツとの共同研究で、線形・非線形計画法(1958年)や制約条件の扱い方(1961年)を研究した。これらは、企業や消費者が制約の下で最もよい選択をするという経済学の基本問題を、数学的に厳密に解くための道具となった。また、二階堂副包との共同研究などで、市場の価格調整(ワルラス的調整過程)の安定性も論じている。博士論文もワルラスの一般均衡理論に関するものである。

もっとも知られた業績は、二部門成長モデル(1961年、1963年)である。経済を「消費財をつくる部門」と「資本財をつくる部門」に分け、その関係から経済成長の道すじを分析した。宇沢自身は、この発想がマルクス『資本論』第二巻の再読から生まれたと述べている。1964年にはその最適化版も示した。このほか、中立的な技術進歩と成長均衡の関係(1961年)、CES生産関数(1962年)、最適な技術進歩(1965年)に関する論文がある。1965年の論文は、教育による人的資本の蓄積を成長の源泉とみるもので、のちにルーカスが発展させた「宇沢=ルーカス・モデル」の土台となった。

国際経済学では、保護関税の下での資本流入がかえって経済厚生を悪化させ得るという「宇沢=浜田の命題」も示した。さらに、ヴェブレンの制度学派の読解から、企業の成長には調整費用が伴うという「ペンローズ効果」の理論も展開した(1966〜69年)。

シカゴ大学やスタンフォード大学では、後にノーベル経済学賞を受けるジョセフ・スティグリッツやジョージ・アカロフ、成長理論のデイヴィッド・キャスらが宇沢のもとで学んだ。宇沢自身もノーベル賞に最も近い日本人経済学者と言われた。

転回:ベトナム戦争と帰国、新古典派批判

宇沢は1968年、シカゴ大学教授の地位を捨てて日本に戻った。その理由の一つは、米国のベトナム戦争への加担への反発であったとされる。特に、米国の経済学者が費用便益分析を使って戦争の「効率」を計算していたことを、宇沢は後に『近代経済学の再検討』(1977年)で厳しく批判した。

帰国後の宇沢は、自らが築いてきた新古典派経済学そのものを問い直していく。新古典派の成長理論は、市場経済が安定的な成長の道をたどることを前提にしている。宇沢はこの前提を疑い、現実の経済は本来不安定で、ケインズ的な失業を伴うと論じた。『ケインズ「一般理論」を読む』(1984年)や『近代経済学の転換』(1986年)は、その批判の成果である。

この批判は、特にシカゴ時代の同僚ミルトン・フリードマンらの市場原理主義に向けられた。宇沢は、過度な市場競争は格差を広げ、社会を不安定にすると反論した。ただし宇沢は、社会主義・マルクス主義にも批判的であった。『経済学の考え方』(1989年)では、ソ連型の体制も批判している。市場も国家も万能ではないという立場から、第三の道として「社会的共通資本」の構想が生まれた。

『自動車の社会的費用』

『自動車の社会的費用』は1974年に岩波新書として刊行され、ベストセラー、ロングセラーとなった。宇沢の一般向け著作の中でもっとも知られた本であり、社会的共通資本の考え方を初めて具体的な問題に当てはめた仕事でもある。

背景

1968年に帰国した宇沢が目にしたのは、高度経済成長の下で公害や自然破壊が頻発し、歩道も整っていないまま無秩序なモータリゼーションが進む日本の姿であった。宇沢自身、東大教授時代には電車も車も使わず、自宅からジョギングで通勤していたという。

主張

宇沢は、自動車が交通事故、公害、環境破壊などの形で大きな「社会的費用」を生んでいると論じた。それらは、健康や安全に歩くことといった「市民の基本的権利」を侵害し、人々に取り返しのつかない損失を与える。ところが、自動車の利用者が負担しているのはそのごく一部にすぎない。運転の費用が低すぎることが問題の根源であり、社会的費用を利用者に負担させる(内部化する)べきだというのが宇沢の主張である。

試算の方法と数字

宇沢の試算は、被害額を積み上げる方法をとらなかった。その代わりに、市民の基本的権利を侵害しないように道路や都市の構造を造り替えるために必要な費用を算定した。歩道と車道を分け、両側に緑地帯を設けるような、人間を優先した道路を整備する費用である。その結果、当時の物価で自動車1台あたり毎年約200万円という額が示された。この結論は事実上、自動車の保有を大きく制限すべきだという意味をもち、社会に衝撃を与えた。

この試算の方法は、「何を市民の権利として守るべきか」という社会的な基準を先に決め、そこから費用を導くという点で、従来の費用便益分析とは発想が異なる。宇沢がベトナム戦争での費用便益分析の使われ方を批判したことともつながっている。しかし本書では、この約200万円という額がどのような項目と数値の積み上げから導かれたのか、その内訳は事実上示されていない。道路をどれだけの延長にわたってどのような構造に造り替えるのか、その費用をどう自動車の台数で割り付けたのかを、読者がたどって検証することはできない。結論の数字が社会に大きな衝撃を与えただけに、その根拠が示されていないことは、この本の物足りなさと言わざるを得ない。

社会的共通資本の理論

宇沢は1972年ころから「社会的共通資本」を提唱し、生涯を通じてその理論を深めた。一般向けの集大成が『社会的共通資本』(岩波新書、2000年)であり、英文では Economic Analysis of Social Common Capital(Cambridge University Press、2005年)にまとめられている。

定義と三つの種類

社会的共通資本とは、人々が豊かな経済生活を営み、優れた文化を展開し、人間的に魅力ある社会を安定的に維持するための社会的な装置である。宇沢の言葉では、それは「共通の財産として社会的な基準にしたがって管理、運営される」ものである。宇沢はこれを三つに分けた。

第一は自然環境で、大気、水、森林、海洋、土壌などがこれにあたる。第二は社会的インフラストラクチャーで、道路、交通機関、上下水道、電力・ガスなどである。第三は制度資本で、教育、医療、金融、司法、行政などの制度を指す。

誰が管理するのか

宇沢の構想の特徴は、管理の担い手にある。社会的共通資本は、市場の利潤動機に委ねても、官僚的な国家管理に委ねてもならない。それぞれの分野の職業的専門家が、専門的な知見と職業的規律にしたがって、社会から信託されたものとして管理すべきだと宇沢は考えた。医療であれば医師が、教育であれば教師が、一人ひとりの尊厳を守るという職業的倫理に基づいて運営する、という考え方である。

この発想の根には、米国の制度学派経済学者ヴェブレンがいる。宇沢はヴェブレンについての著作(『ヴェブレン』、2000年)もあらわし、市場経済を制度の中に位置づけるその視点を引き継いだ。

図解:社会的共通資本

図は横田俊英の作成。

社会的共通資本は、自然環境、社会的インフラストラクチャー、制度資本の三つからなる。宇沢の議論の要点は、それを市場にも官僚にも委ねず、社会から信託された職業的専門家が管理するところにある。各柱の下段には、その分野で宇沢が展開した主な議論を示した。

実践:成田、地球温暖化、教育・医療・農業

宇沢は書斎にとどまらず、社会的共通資本の考え方を現実の問題に当てはめようとした。

成田空港問題

成田空港(三里塚)をめぐる国と反対同盟の長い対立で、宇沢は経済学者の隅谷三喜男を団長とする「隅谷調査団」の団員として活動した。調査団は1991年11月から「成田空港問題シンポジウム」を主宰し、国、空港公団、千葉県、反対同盟の四者が初めて一堂に会した。その後の「成田空港問題円卓会議」とあわせて約3年に及ぶ話し合いを経て、二期工事の滑走路計画を白紙に戻して地域と話し合うよう求めた隅谷調査団の所見を関係者全員が受け入れ、対立の構造は解消に向かった。宇沢はその経験を『「成田」とは何か:戦後日本の悲劇』(岩波新書、1992年)にまとめている。宇沢は水俣病問題の解決にも関わった。

地球温暖化と比例的炭素税

宇沢は早くから地球温暖化に警鐘を鳴らした。『地球温暖化を考える』(岩波新書)と『地球温暖化の経済学』(岩波書店)はいずれも1995年の刊行で、英文では Economic Theory and Global Warming(Cambridge University Press、2003年)がある。宇沢は、先進国の浪費的な豊かさの追求と途上国の貧困の両方が地球環境を壊していると論じた。

そこで宇沢が提案したのが「比例的炭素税」である。一律の炭素税では途上国の経済発展を妨げるため、税率を各国の一人あたり国民所得に比例させる。さらに、その税収から植林への補助金を差し引いた額の一部を「大気安定化国際基金」に拠出し、途上国の熱帯雨林の保全や農村の維持、代替エネルギーの開発に配分する構想も示した。この構想は経済学者から支持されたが、政策としては採用されていない。こうした業績が評価され、2009年にニコラス・スターンとともにブループラネット賞を受けた。

教育・医療・農業

制度資本としての教育と医療にも、宇沢は強い関心を寄せた。『日本の教育を考える』(岩波新書、1998年)では、故郷の鳥取県を想定して、教育と医療を中心とする「公園都市」や、介護・リハビリ施設を中心とする「医療公園」の構想を提示した。農業と農村も自然と文化を守る社会的共通資本として重視し、晩年の2011年には「TPPを考える国民会議」の代表世話人となっている。

評価と批判

宇沢は、理論経済学者としては国際的に最高水準の評価を受けた。計量経済学会の会長を務め、文化勲章を受け、門下からは複数のノーベル賞受賞者が出ている。二部門成長モデルや宇沢=ルーカス・モデルは、今日も成長理論の教科書に載る基礎的な構造である。

一方、帰国後の社会的共通資本の構想については、評価が分かれる。主流派の経済学者からは、理念は理解できても制度設計としては具体性に欠ける、「職業的専門家による管理」はその専門家自身の利害をどう抑えるのか、といった疑問が出されてきた。『自動車の社会的費用』の1台約200万円という試算も、前提となる「市民の基本的権利」の基準の置き方で額が大きく変わる。そのうえ、本書には試算の内訳が事実上示されておらず、数字の根拠を検証できない。宇沢が市場主義に背を向けたことで、経済学界の主流から孤立したとも言われる。

ただし、地球環境問題や格差の拡大が深刻になるにつれ、宇沢の議論は再評価されている。自然や公共サービスを市場に任せず社会で管理するという考え方は、今日のSDGsやコモンズ論を先取りしていたと評される。没後の2015年には故郷米子市で「よなご宇沢会」が設立され、宇沢の思想を継承する活動が続けられている。

川島武宜との対比

宇沢弘文と川島武宜は、分野も世代も異なるが、いくつかの点で重なり合う。二人とも東京大学の社会科学者であり、文化功労者となった。本稿作成のきっかけも、川島が中央大学と同志社大学で教えたという記憶が、実は宇沢の経歴だったという混同であった。

思想の面でも共通点がある。川島は、家や村の共同体から個人を自立させ、権利の主体とすることを戦後民主化の課題とした。宇沢も、『自動車の社会的費用』で「市民の基本的権利」を出発点に置き、一人ひとりの人間の尊厳を経済の上位に置いた。

ただし、共同体へのまなざしは対照的である。川島にとって村落共同体は、個人を縛る前近代的なものであり、入会権の「解体」は近代化の過程として理論化された。これに対し宇沢は、自然や地域の資源を共同で管理する仕組みを、市場の暴走から人間を守るものとして積極的に評価した。川島の入会権論をめぐって近年コモンズ論から出ている問い直しは、宇沢の社会的共通資本の考え方と同じ方向を向いている。個人の自立を重んじた川島と、共同で守るべきものを重んじた宇沢を並べると、戦後日本の社会科学が「近代」をどう捉えてきたかの二つの面が見えてくる。

主要著作と参考文献

主要著作

宇沢の日本語の著作は、帰国後の1970年代に始まる。まず1974年に『自動車の社会的費用』、1977年に『近代経済学の再検討:批判的展望』を、いずれも岩波新書として出した。1980年代には、新古典派批判とケインズの再評価を示した『ケインズ「一般理論」を読む』(1984年)、『近代経済学の転換』(1986年)、『公共経済学を求めて』(1987年)、『現代日本経済批判』(1987年)を岩波書店から、専門書『経済動学の理論』(1986年)を東京大学出版会から刊行した。1989年には『経済学の考え方』(岩波新書)と『「豊かな社会」の貧しさ』を出している。

1990年代には、実践的な問題への取り組みが著作に現れる。『「成田」とは何か:戦後日本の悲劇』(1992年)、『地球温暖化を考える』(1995年)、『日本の教育を考える』(1998年)はいずれも岩波新書であり、専門書として『地球温暖化の経済学』(岩波書店、1995年)がある。2000年には集大成ともいえる『社会的共通資本』(岩波新書)と『ヴェブレン』(岩波書店)を出した。英文では、Economic Theory and Global Warming(2003年)と Economic Analysis of Social Common Capital(2005年)をいずれも Cambridge University Press から刊行している。

晩年には、『経済学と人間の心』(東洋経済新報社、2003年)、『経済学は人びとを幸福にできるか』(同、2013年)、『経済と人間の旅』(日本経済新聞出版社、2014年)と、一般の読者に向けた本を出した。没後には『宇沢弘文の経済学:社会的共通資本の論理』(2015年)、『宇沢弘文 傑作論文全ファイル』(2016年)、『人間の経済』(新潮新書、2017年)が刊行されている。

参考文献

経歴と著作は主に宇沢弘文(Wikipedia)によった。理論的業績はHistory of Economic Thought の宇沢の項目を参照した。社会的共通資本、比例的炭素税、『自動車の社会的費用』の試算については、旭硝子財団ブループラネット賞2009年受賞者紹介、科学ポータルの記事、RIETIのコラムを参照した。成田空港問題のシンポジウムと円卓会議の経過は成田国際空港株式会社の説明により、教育・医療の構想はプレジデントオンラインの記事を参照した。

「評価と批判」の節のうち、社会的共通資本への批判は、一般に指摘される論点を整理したものであり、特定の批判者の論文は今回確認できていない。『自動車の社会的費用』の試算の内訳が示されていないという点は、筆者が同書を読んだうえでの判断である。




├計量計測データバンク ニュースの窓-493-川島武宜 ― 所有権・家族・入会権の法社会学と、その後 2026年10月9日 · @横田俊英
├計量計測データバンク ニュースの窓-494-宇沢弘文 ― 数理経済学から社会的共通資本概念形成へ 2026年10月9日 · @横田俊英
├計量計測データバンク ニュースの窓-495-法学の川島武宜と経済学の宇沢弘文 ― 二人の業績と社会に与えた影響とその共通項 2026年10月9日 · @横田俊英
├

├
├川島武宜 ― 所有権・家族・入会権の法社会学と、その後 2026年10月9日 · @横田俊英
├

TOPへ

├
├計量計測データバンク ニュースの窓 目次
├

2026-10-02-news-494-materia-content-collection-494-



「計量計測データバンク」サイトマップ
measure and measurement data bank of saite map