「計量計測データバンク」サイトマップ measure and measurement data bank of saite map
計量計測データバンク ニュースの窓-493-
|
計量計測データバンク ニュースの窓-493-
├
├計量計測データバンク ニュースの窓-493-川島武宜 ― 所有権・家族・入会権の法社会学と、その後 2026年10月9日 · @横田俊英
├見ていた青春「神田学生街の一九七〇年」-改訂版5稿-2026年10月09日・@森夏之
下の表は、川島が描いた家制度のもとでの現実と、それに対する川島の処方を、項目ごとに対照したものである。
|
項目 |
川島が描いた現実(家制度のもと) |
川島の処方 |
出典 |
|---|---|---|---|
|
家長と家族員 |
家長の命令は絶対。親や夫への「口ごたえ」「理窟」は尊厳を犯す大罪 |
家制度をなくし、個人を権利の主体として自立させる |
「日本社会の家族的構成」1946年 |
|
妻と子の地位 |
権力の「客体」であって「主体」ではない。父子・夫婦・兄弟姉妹に厳然たる「身分」の別 |
権利と義務が対応する「近代的民主的」な関係 |
1946年論文、「権利の体系」1951年 |
|
親子の道徳 |
子の「孝」は絶対・無条件。親の「慈」とは質的に異なる「身分」的な義務 |
「孝」を支配のイデオロギーとして批判 |
「イデオロギーとしての『孝』」1957年 |
|
家と社会 |
親分と子分、本家と分家、地主と小作に擬制的に拡大。家族国家で「孝」が「忠」へ |
「力の支配」ではなく「法の支配」を民主主義の本質とする |
1946年・1957年論文、『家庭の法律』1955年 |
|
「家族制度」 |
明治民法の戸主権として法制化され、教育勅語などで教え込まれた理念。言葉に三つの意味が混在 |
家制度の廃止、復活論への反論 |
「イデオロギーとしての『家族制度』」1957年 |
|
結婚の決め方と目的 |
「婚姻は父母の決定によって生ずる」という意識。結婚は祖先の祭りを絶やさぬ「孝」の手段 |
家の決定から結婚を切り離す(家制度の廃止) |
「事実婚主義と法律婚主義」1947年、1957年論文 |
|
婚姻の届出 |
嫁を見定めるまで届出を遅らせる慣行。届出のない妻の地位は不安定 |
結婚と同時に届け出る法律婚を徹底。事実婚主義は退ける |
「事実婚主義と法律婚主義」1947年 |
|
内縁の破棄 |
届出前なら嫁を実家へ返しても戸籍に残らない。嫁の立場は舅・姑の恣意次第 |
不当破棄は「人格権侵害」の不法行為として救済 |
「事実婚主義と法律婚主義」1947年 |
「川島の処方」の列のうち、「家の決定から結婚を切り離す」は、家制度の廃止という川島の主張からの整理であり、川島の文言そのものではない。
川島武宜 ― 所有権・家族・入会権の法社会学と、その後 2026年10月9日 · @横田俊英
· @横田俊英
川島武宜(かわしま・たけよし、1909〜1992)は、民法学から出発して日本に法社会学を根づかせ、戦後民主主義の理論的支柱の一人となった法学者である。丸山眞男、大塚久雄と並び、いわゆる「戦後近代主義」の社会科学を代表する人物とされる。
本稿は、川島の三つの主要な仕事――近代的所有権の理論、日本の家族制度の分析、入会権の研究――を一つの流れとして読み解く。あわせて、同時代人である政治学者・福島新吾の証言、川島への批判、そして大学紛争による資料喪失と研究の断絶という晩年の事情までを、調べ得た資料に基づいてまとめる。
三つの仕事を貫くのは、身分や共同体に縛られた人間を、権利の主体である自立した個人へと解き放つという一貫した問題意識である。所有権論はその法的な基礎を、家族論はそれを阻む社会構造とイデオロギーを、入会権論は村落共同体の中の権利を、それぞれ扱っている。
川島武宜は1909年10月17日、岐阜市に生まれた。1932年に東京帝国大学法学部を卒業し、我妻栄の門下で民法を学んだ。1934年に助教授、1945年に教授となり、1970年に定年退官して東京大学名誉教授となった。在職中にはスタンフォード大学の客員教授も務めている。
若いころにイェーリングの著作をきっかけに法社会学へ関心をもち、末弘厳太郎から「概念法学」と批判されたことを機に、法解釈学そのものを問い直すようになった。戦前には、債務不履行責任と不法行為責任の請求権は競合しないという論文で民法学に影響を与えている。
戦後は、研究と学会活動の両面で中心的な役割を果たした。
1970年の退官後は、私立大学からの招きを断り、弁護士として活動したとされる。その事情は本稿の後半で述べる。1992年5月21日に没した。
政治学者の福島新吾(1921〜2013、専修大学名誉教授)は、敗戦直後の東大で川島の講義を受けた一人である。福島は2003年、『専修大学社会科学研究所月報』に二つの回想を寄せており、そこに川島の姿が記されている。
福島は、戦前と戦後で教授の言うことが一変したことへの反発を回想し、その例として川島を挙げている。
ただ講義に出てみると戦前と同じ教授のいうことがまるで変わっており、それに反発を感じる場合もあった。それは多分川島武宜先生だっただろう。名著『所有権法の理論』を戦時中にまとめた川島さんは、私達のクラスに物権法の特別講義をして、ゲヴェーレなどという難しい概念を教えて悩ましたが、「私はマルクス主義者ではありませんが」とわざわざことわっておずおずとマルクスの説を一部紹介していた。それが今や公然とマルクス曰くとやっていたからだ。それが悪いわけでは無いのだが、転換があまり際立っており、大阪高校同窓の安井さんに似たキザな印象があって感情的に反発したのだろう。
この箇所は、高橋裕「川島武宜の戦後:1945-1950年」の注24で「福島(2003): 16」として引かれている。当時の受講者が川島の授業をやや批判的に見ていたことを示す資料という扱いである。高橋論文によれば、川島は1946年5月、『所有権法の理論』の内容を土台にした特別講義を行っており、福島が「ゲヴェーレ」で悩まされたというのはこの講義だと考えられる。
続編では、福島が東大社会科学研究所の助手だった時期を振り返っている。1948〜49年の朝日新聞の総選挙調査の参加者として、川島門下の法社会学者の名が出てくる。
法学部では辻の研究生で左派の阿利莫二や川島門下の法社会学の潮見俊隆、唄孝一、卒業間際の学生の石田雄、広中俊雄らが入った。
同じ論文の6頁には、社研の人選について「法学でいえば解釈学より法社会学や、歴史研究をより重視すべきだっただろう」という評価もある。川島を名指ししたものではないが、当時の社会科学における法社会学の位置をうかがわせる。
『所有権法の理論』は1949年に岩波書店から刊行された。新版は1987年で、A5判346頁、著者による解題が新たに付されている。『川島武宜著作集』第7巻「所有権」(1981年)にも収められ、1969年に東京大学へ提出した博士論文もこの題名である。福島新吾の回想によれば、川島はその内容を戦時中にまとめていた。
この本は、近代の所有権を条文の解釈としてではなく、「現実の社会現象としての構造」として分析する。所有権を人と物の関係ではなく、人と人との社会関係として捉え、そこから近代市民法の基礎構造を明らかにしようとした。『日本大百科全書』はこれを、商品交換の過程から近代法の構成を試みた「名著」と評している。マルクス『資本論』の商品論に近い枠組みであり、後の研究者からは「資本論的理解(=川島所有論)」とも呼ばれる。
近代法では、「私的」な要素と「社会的」な要素が切り分けられる。物権と債権、物権と人格の法(家族法を含む身分の法)、私法と公法、市民社会と国家の区別がその例である。所有は身分や家の秩序から切り離された「個人の私的な権利」として立てられ、他人とのつながりは契約という社会的な仕組みを通じて結ばれる。
第3章「近代的所有権の観念性と絶対性」(新版94〜153頁)で川島は、ゲルマン法のゲヴェーレと近代的所有権を対比する。ゲヴェーレでは、物を実際に支配していること(占有)と権利が混ざったまま保護されていた。これに対し近代の所有権は、現実の支配から切り離された「観念的な権原」として保護される。
この観念性の背景として、川島は三つを挙げる。
物権的請求権(妨害を取り除く権利)に、所有権の観念性と絶対性が表れていると川島は論じる。近代では登記制度などによって所有権の証明が容易になり、物権的請求権が占有訴権を事実上吸収した。それでも占有訴権が残るのは、賃借人のように物を使う人を守る役割があるからだという。同時に川島は、物権の絶対性も歴史的に生まれたものにすぎないと述べている。
この本の論理を裏から読めば、所有が家や村の秩序と結びついている限り、近代的所有権は十分に成り立っていないことになる。家父長的な家と村落共同体の支配をどう捉えるかという問題が、家族論と入会権論へとつながっていく。ただし、本書そのものの家族に関する記述は今回直接には確認できておらず、この節は章構成からの整理である。
なお、ローマ法などの歴史記述は当時の研究水準によるもので、現在の水準から見て不正確な部分があるとも指摘されている。
川島の家族論は、敗戦直後の1946年論文と、その約10年後の1957年論文の二段構えになっている。1946年論文は、日本の家族と、それを手本に組み立てられた社会の権威と服従の構造を描いた。1957年論文は、「家族制度」が現実の家族ではなく支配のための思想だったことを暴いた。川島自身は、敗戦まで家族制度は「神聖不可侵の聖域」であり、正面から論じるのは危険だったと回想している。
川島は日本の家族を二つの類型に分けた。
その上で川島は、家族の上下関係が家族の外へ擬制的に広げられていると論じた。親分と子分、本家と分家、地主と小作、雇い主と使用人の関係がそうである。日本社会そのものが「家族的」に構成されており、それを克服することが「民主主義革命」の課題だと明言している(同24、26頁)。
1957年には「イデオロギーとしての『孝』」と「イデオロギーとしての『家族制度』」が書かれた。どちらも現代文庫版と著作集第10巻に収められている。論点は次の四つにまとめられる。
第10巻には次の論文が収められている。養子、家元、漁村の婚姻慣行、農家相続など、各地の実態調査に基づく論考が並ぶ点に、川島の関心の広がりが表れている。
第11巻の目次は今回確認できなかった(家族法・親族法の解釈論が中心とみられる)。
川島の結婚論の核は、1947年の論文「事実婚主義と法律婚主義」である。川島は、届出のない結婚(事実婚・内縁)は家族制度の産物であり、結婚と同時に届け出る法律婚を徹底することが家族の民主化の土台だと論じた。この論文は『日本社会の家族的構成』の日本評論社版(1950年)に収められている。
川島は一般向けにも結婚を論じた。1954年に岩波新書(青版166)として『結婚』を出し、同書は1967年にも版を重ねている。1955年には婚姻を含む家族法の解説書『家庭の法律』(岩波書店)、1956年には『結婚の理想と現実』(中央公論社、184頁)を著した。同じ年には編者の一人として『現代家族講座 第2巻 結婚への道』(河出書房)も刊行している。ただし、『結婚』と『結婚の理想と現実』の目次や本文は、今回確認できなかった。
研究論文としては、著作集第10巻に「志摩漁村の寝屋婚・自由婚」(付論「足入れ」)と「近代的婚姻のイデオロギー:カントの婚姻法理論」がある。前者は、漁村の若者宿を通じて本人同士の意思で結ばれる婚姻慣行を現地調査で描いたものとみられる。後者は、近代の婚姻観の思想的な根をカントにたどった論考である。著作集第11巻には、戦後の家族法改正の理念を論じた「家族法にあらわれた新しい法的理念」(1970年)が収められている。
川島は、日本に事実婚が多い理由を三つ挙げた。第一に、「婚姻は父母の決定によって生ずるという意識」があり、親の許しが出なければ当事者は届出のない結婚を選ばざるを得なかった。第二に、「結婚は届けなければならない」という意識そのものが低く、戸籍に無知だったり親任せだったりした。第三に、嫁を見定めるまで届出を遅らせる慣行があり、戸籍の記載が汚れるのが嫌われた。
その結果、「届出のない妻の地位はまことに不安定」であり、嫁の立場は舅・姑の恣意にかかっていた。届出前であれば嫁を実家へ返しても戸籍には残らないという事情が利用されていた、と川島は指摘している。
「イデオロギーとしての『孝』」で川島は、伝統的な日本の結婚は何よりも「子を作り祖先の祭りを絶やさぬようにするという『孝』のための手段」だったと論じた。結婚は本人同士のためではなく、家と祖先に対する子の義務だったという理解である。家族論で述べた「孝」のイデオロギーが、結婚のあり方にまで及んでいたことになる。
川島は、事実婚にも法的効力を与える「事実婚主義」は解決にならないと考えた。必要なのは家族制度そのものをなくし、結婚と同時に届け出るよう人々を啓蒙することである。内縁を不当に破棄された場合は、「人格権侵害」による不法行為として救済すべきだとも論じた。論文の結論では次のように述べている。
われわれは,婚姻の即日届出が民衆の広い範囲にわたって可能になることを充分に期待し得ると考えるのであり,又あらゆる努力をしてそれを実現するのでなければ,民主化の基底たる家族生活の民主化は絶対に確立し得られないことを銘記すべきである。
この論文で川島は、『所有権法の理論』の観念性の議論を結婚に当てはめた。所有権が、実際に物を使っているかどうかとは関係なく観念的に定まるのと同じように、婚姻も「現実の事実そのものから一応切り離して観念的に定められなければならない」というのである。届出という法的な手続きによって、夫婦の地位を家の意向から切り離し、権利として保障しようとしたと読める。
その背景には、「法=権利の体系」という川島の法律観がある。『家庭の法律』(1955年)で川島は、「『力の支配』ではなくて、『法の支配』が、民主主義の本質であり、生命である」と書いた。論文「権利の体系」(1951年)では、権利は「独立して対抗しあう主体の間の力の緊張関係」を前提すると論じている。川島にとって法律婚は、夫婦を家族主義の「和」の中に埋没させず、権利の主体として立たせるための手段だったといえる。
この主張に対しては、杉之原舜一が1948年に「事実婚主義か法律婚主義か:川島教授の所説を読みて」(『人文』2巻2号)で「遺憾ながら,わたくしは教授の主張を理解し得ない」と反論した。杉之原は、婚姻を現実から切り離して「観念的に」定めるとはどういう意味かと問うた。そして、明治以来の届出主義は家と家との非近代的な結婚を温存する働きしかしてこなかったとし、「届出主義自身には独立して婚姻を近代化する力がない」と論じた。
杉之原の議論は少数意見にとどまり、戦後の新民法は届出婚主義を採った。なお当時は、保守政党の自由党の側が事実婚主義の改正案を出しており、民主化論者の川島が法律婚主義を唱えるという複雑な構図があった。近年の家族社会学では、川島の法律婚主義には「婚姻中心主義」の限界があったと指摘される一方で、その根底にあった「法=権利の体系」という考えは見直されている(阪井裕一郎「事実婚と民主主義」2012年)。
川島は、潮見俊隆・渡辺洋三らとともに入会権の実態調査を重ね、『入会権の解体』(共編、岩波書店)などをまとめた。「入会権の解体」(1961年)、「入会権の基礎理論」などの論文は『著作集』第8巻に収められている。入会権は、川島の研究の中でもとりわけ現地調査に依拠した分野である。
川島は入会権を、「村落共同体もしくはこれに準ずる地域共同体が土地――従来は主として山林原野――に対して総有的に支配するところの・慣習上の物権」と定義した。
川島はギールケの団体論に依拠して、入会権の構造を次のように整理した。
村落共同体が近代化するにつれ、昔ながらの入会稼ぎは形を変えていく。入会地を個人に分けたり、他人に貸して賃料を分配したりする形である。川島はこの変化を「解体」と呼び、「古典的利用形態たる入会稼ぎを内容とする入会権の形態変化」として理論化した。著作集第8巻の解題で川島は、この論文が入会権を入会稼ぎの権利としてだけ説明する従来の常識を破るものだった、と振り返っている。
川島は共同体による規制を批判する一方で、入会権の私権性――国家でも勝手に取り上げられない私有財産としての性格――を強く擁護した。近年はコモンズ論の側から、全員一致の原則や共同体の役割を見直す議論が出ている。最高裁平成20年4月14日判決は、慣習があれば全員一致によらない処分も有効とした。この判決に対しては、「川島武宜以来の入会権研究の到達点から外れている」という批判がある(采女博文「入会権の全員一致原則について」)。
所有権論、家族論、入会権論は、「前近代的な共同体から近代的個人が自立すること」という同じ軸の上に並んでいる。後の研究者も、川島法学の課題をそのように整理している。
つまり川島は、近代法の理念を論じるだけでなく、日本の家や村で実際に行われている「生ける法」を現地調査で確かめ、両者のずれを測った。そのずれを埋めることが戦後民主化の課題だというのが、川島の一貫した立場である。この発想は、後の『日本人の法意識』(岩波新書、1967年)にも引き継がれている。同書で川島は、日本人にとって権利や義務は「あるような・ないようなもの」で、はっきりさせることが好まれず、訴訟も避けられると論じた。
川島の仕事は戦後の社会科学の頂点の一つと評価される一方、その図式性も繰り返し指摘されてきた。
岩波現代文庫版『日本社会の家族的構成』の解説で、筒井清忠はこの本を「丸山真男、大塚久雄の一連の業績と並んで、いわゆる戦後近代主義社会科学の最高の成果群の重要な一角を構成する」と位置づけている(241頁)。家族論は戦後の民法改正(家制度の廃止)を支える議論となり、家族社会学にも大きな影響を与えた。『所有権法の理論』は民法学と法社会学の古典とされ、入会権論は今日の判例批評でも基準として参照されている。
これらの批判に共通するのは、「封建的」「前近代的」という言葉で多様な実態を一括りにしたという指摘である。それは川島の論じ方が、戦後民主化という切実な実践的課題と一体だったことの裏返しでもある。
川島の法社会学は、家族、入会、温泉権、契約慣行などをめぐる長年の現地調査に支えられていた。その調査の記録が、1968〜69年の東大紛争で失われたとされる。
Wikipediaは「学生による大学封鎖」と書くだけで全共闘の名を挙げていない。しかし時期は1968〜69年の東大紛争で、封鎖を主導したのは全共闘系の学生である。法学部は1968年10月12日に無期限ストに入っている。全共闘による封鎖の中で資料を失ったと理解してよいだろう。
失われた「調査メモ」の中身は特定されていない。ただし、著作集第10巻に並ぶ養子、家元、漁村の婚姻、農家相続などの論考や、入会権・温泉権の研究は、いずれも現地調査に基づく。そのため、家族論や入会権論の基礎となった記録が含まれていた可能性は高い(これは推測である)。
紛争後の川島には、新しい実態調査に基づく大きな著作は見当たらない。『日本人の法意識』(1967年)は紛争の前の仕事であり、1978年の『ある法学者の軌跡』は自伝的回想、1981〜86年の『川島武宜著作集』全十一巻は既発表論文の集成である。研究の継続に支障をきたし、実際には事実上放棄したという理解は、これらの事実と整合する。
ただし、Wikipediaのこの段落には出典が付いていない。根拠となっていそうなのは、本人の回想『ある法学者の軌跡』(有斐閣、1978年)か、著作集各巻の解題である。引用する場合は、この二つを図書館で確認する必要がある。
川島の著作は、戦後の数年間に集中している。まず1948年に『日本社會の家族的構成』(學生書房)を出した。同書は2000年に岩波現代文庫に収められている。翌1949年には主著『所有権法の理論』(岩波書店、1987年に新版)と『民法解釋學の諸問題』(弘文堂)を刊行し、1950年には『法社會學に於ける法の存在構造』(日本評論社)を著した。
1950年代に入ると、教科書と一般向けの著作が加わる。1951年に『民法講義』(岩波書店)、1954年に『結婚』(岩波新書)、1955年に方法論の代表作『科学としての法律学』(弘文堂)、1959年に『近代社会と法』(岩波書店)が続いた。1960年代には『民法総則』(有斐閣、1965年)と、広く読まれた『日本人の法意識』(岩波新書、1967年)を出している。
大学紛争と退官の後に出たのは、自伝的回想『ある法学者の軌跡』(有斐閣、1978年)、既発表論文を集成した『川島武宜著作集』全十一巻(岩波書店、1981〜86年)、そして『「科学としての法律学」とその発展』(岩波書店、1987年)である。
入会権については、潮見俊隆・渡辺洋三との共編『入会権の解体』(岩波書店)がある。入会権・温泉権などの論文は、著作集第8巻に収められている。
結婚論の節は、主に阪井裕一郎「事実婚と民主主義:視座の変容から考える現代的課題」『慶應義塾大学大学院社会学研究科紀要』74号、2012年によった。川島の文言の引用は同論文からの孫引きである。『結婚』と『結婚の理想と現実』の書誌は、「日本の古本屋」の出品情報(結婚、結婚の理想と現実)で確認した。
書き換え予定文書
川島は、結婚と同時に届け出る法律婚を徹底すべきだと論じた。事実婚にも法的効力を与える「事実婚主義」は、事実婚そのものが家族制度の産物である以上解決にはならず、かえって家族制度を温存するとして退けた。婚姻の即日届出を広く実現することが、家族生活の民主化、ひいては日本の民主化の基底だというのである。
[図表で比較する川島武宜が説く所有権、家族、入会権]
· @横田俊英
川島武宜(かわしま・たけよし、1909〜1992)は、民法学から出発して日本に法社会学を根づかせ、戦後民主主義の理論的支柱の一人となった法学者である。丸山眞男、大塚久雄と並び、いわゆる「戦後近代主義」の社会科学を代表する人物とされる。
本稿は、川島の三つの主要な仕事――近代的所有権の理論、日本の家族制度の分析、入会権の研究――を一つの流れとして読み解く。あわせて、同時代人である政治学者・福島新吾の証言、川島への批判、そして大学紛争による資料喪失と研究の断絶という晩年の事情までを、調べ得た資料に基づいてまとめる。
三つの仕事を貫くのは、身分や共同体に縛られた人間を、権利の主体である自立した個人へと解き放つという一貫した問題意識である。所有権論はその法的な基礎を、家族論はそれを阻む社会構造とイデオロギーを、入会権論は村落共同体の中の権利を、それぞれ扱っている。
川島武宜は1909年10月17日、岐阜市に生まれた。1932年に東京帝国大学法学部を卒業し、我妻栄の門下で民法を学んだ。1934年に助教授、1945年に教授となり、1970年に定年退官して東京大学名誉教授となった。在職中にはスタンフォード大学の客員教授も務めている。
若いころにイェーリングの著作をきっかけに法社会学へ関心をもち、末弘厳太郎から「概念法学」と批判されたことを機に、法解釈学そのものを問い直すようになった。戦前には、債務不履行責任と不法行為責任の請求権は競合しないという論文で民法学に影響を与えている。
戦後は、研究と学会活動の両面で中心的な役割を果たした。
1970年の退官後は、私立大学からの招きを断り、弁護士として活動したとされる。その事情は本稿の後半で述べる。1992年5月21日に没した。
政治学者の福島新吾(1921〜2013、専修大学名誉教授)は、敗戦直後の東大で川島の講義を受けた一人である。福島は2003年、『専修大学社会科学研究所月報』に二つの回想を寄せており、そこに川島の姿が記されている。
福島は、戦前と戦後で教授の言うことが一変したことへの反発を回想し、その例として川島を挙げている。
ただ講義に出てみると戦前と同じ教授のいうことがまるで変わっており、それに反発を感じる場合もあった。それは多分川島武宜先生だっただろう。名著『所有権法の理論』を戦時中にまとめた川島さんは、私達のクラスに物権法の特別講義をして、ゲヴェーレなどという難しい概念を教えて悩ましたが、「私はマルクス主義者ではありませんが」とわざわざことわっておずおずとマルクスの説を一部紹介していた。それが今や公然とマルクス曰くとやっていたからだ。それが悪いわけでは無いのだが、転換があまり際立っており、大阪高校同窓の安井さんに似たキザな印象があって感情的に反発したのだろう。
この箇所は、高橋裕「川島武宜の戦後:1945-1950年」の注24で「福島(2003): 16」として引かれている。当時の受講者が川島の授業をやや批判的に見ていたことを示す資料という扱いである。高橋論文によれば、川島は1946年5月、『所有権法の理論』の内容を土台にした特別講義を行っており、福島が「ゲヴェーレ」で悩まされたというのはこの講義だと考えられる。
続編では、福島が東大社会科学研究所の助手だった時期を振り返っている。1948〜49年の朝日新聞の総選挙調査の参加者として、川島門下の法社会学者の名が出てくる。
法学部では辻の研究生で左派の阿利莫二や川島門下の法社会学の潮見俊隆、唄孝一、卒業間際の学生の石田雄、広中俊雄らが入った。
同じ論文の6頁には、社研の人選について「法学でいえば解釈学より法社会学や、歴史研究をより重視すべきだっただろう」という評価もある。川島を名指ししたものではないが、当時の社会科学における法社会学の位置をうかがわせる。
『所有権法の理論』は1949年に岩波書店から刊行された。新版は1987年で、A5判346頁、著者による解題が新たに付されている。『川島武宜著作集』第7巻「所有権」(1981年)にも収められ、1969年に東京大学へ提出した博士論文もこの題名である。福島新吾の回想によれば、川島はその内容を戦時中にまとめていた。
この本は、近代の所有権を条文の解釈としてではなく、「現実の社会現象としての構造」として分析する。所有権を人と物の関係ではなく、人と人との社会関係として捉え、そこから近代市民法の基礎構造を明らかにしようとした。『日本大百科全書』はこれを、商品交換の過程から近代法の構成を試みた「名著」と評している。マルクス『資本論』の商品論に近い枠組みであり、後の研究者からは「資本論的理解(=川島所有論)」とも呼ばれる。
近代法では、「私的」な要素と「社会的」な要素が切り分けられる。物権と債権、物権と人格の法(家族法を含む身分の法)、私法と公法、市民社会と国家の区別がその例である。所有は身分や家の秩序から切り離された「個人の私的な権利」として立てられ、他人とのつながりは契約という社会的な仕組みを通じて結ばれる。
第3章「近代的所有権の観念性と絶対性」(新版94〜153頁)で川島は、ゲルマン法のゲヴェーレと近代的所有権を対比する。ゲヴェーレでは、物を実際に支配していること(占有)と権利が混ざったまま保護されていた。これに対し近代の所有権は、現実の支配から切り離された「観念的な権原」として保護される。
この観念性の背景として、川島は三つを挙げる。
物権的請求権(妨害を取り除く権利)に、所有権の観念性と絶対性が表れていると川島は論じる。近代では登記制度などによって所有権の証明が容易になり、物権的請求権が占有訴権を事実上吸収した。それでも占有訴権が残るのは、賃借人のように物を使う人を守る役割があるからだという。同時に川島は、物権の絶対性も歴史的に生まれたものにすぎないと述べている。
この本の論理を裏から読めば、所有が家や村の秩序と結びついている限り、近代的所有権は十分に成り立っていないことになる。家父長的な家と村落共同体の支配をどう捉えるかという問題が、家族論と入会権論へとつながっていく。ただし、本書そのものの家族に関する記述は今回直接には確認できておらず、この節は章構成からの整理である。
なお、ローマ法などの歴史記述は当時の研究水準によるもので、現在の水準から見て不正確な部分があるとも指摘されている。
川島の家族論は、敗戦直後の1946年論文と、その約10年後の1957年論文の二段構えになっている。1946年論文は、日本の家族と、それを手本に組み立てられた社会の権威と服従の構造を描いた。1957年論文は、「家族制度」が現実の家族ではなく支配のための思想だったことを暴いた。川島自身は、敗戦まで家族制度は「神聖不可侵の聖域」であり、正面から論じるのは危険だったと回想している。
川島は日本の家族を二つの類型に分けた。
その上で川島は、家族の上下関係が家族の外へ擬制的に広げられていると論じた。親分と子分、本家と分家、地主と小作、雇い主と使用人の関係がそうである。日本社会そのものが「家族的」に構成されており、それを克服することが「民主主義革命」の課題だと明言している(同24、26頁)。
1957年には「イデオロギーとしての『孝』」と「イデオロギーとしての『家族制度』」が書かれた。どちらも現代文庫版と著作集第10巻に収められている。論点は次の四つにまとめられる。
第10巻には次の論文が収められている。養子、家元、漁村の婚姻慣行、農家相続など、各地の実態調査に基づく論考が並ぶ点に、川島の関心の広がりが表れている。
第11巻の目次は今回確認できなかった(家族法・親族法の解釈論が中心とみられる)。
川島の結婚論の核は、1947年の論文「事実婚主義と法律婚主義」である。川島は、届出のない結婚(事実婚・内縁)は家族制度の産物であり、結婚と同時に届け出る法律婚を徹底することが家族の民主化の土台だと論じた。この論文は『日本社会の家族的構成』の日本評論社版(1950年)に収められている。
川島は一般向けにも結婚を論じた。1954年に岩波新書(青版166)として『結婚』を出し、同書は1967年にも版を重ねている。1955年には婚姻を含む家族法の解説書『家庭の法律』(岩波書店)、1956年には『結婚の理想と現実』(中央公論社、184頁)を著した。同じ年には編者の一人として『現代家族講座 第2巻 結婚への道』(河出書房)も刊行している。ただし、『結婚』と『結婚の理想と現実』の目次や本文は、今回確認できなかった。
研究論文としては、著作集第10巻に「志摩漁村の寝屋婚・自由婚」(付論「足入れ」)と「近代的婚姻のイデオロギー:カントの婚姻法理論」がある。前者は、漁村の若者宿を通じて本人同士の意思で結ばれる婚姻慣行を現地調査で描いたものとみられる。後者は、近代の婚姻観の思想的な根をカントにたどった論考である。著作集第11巻には、戦後の家族法改正の理念を論じた「家族法にあらわれた新しい法的理念」(1970年)が収められている。
川島は、日本に事実婚が多い理由を三つ挙げた。第一に、「婚姻は父母の決定によって生ずるという意識」があり、親の許しが出なければ当事者は届出のない結婚を選ばざるを得なかった。第二に、「結婚は届けなければならない」という意識そのものが低く、戸籍に無知だったり親任せだったりした。第三に、嫁を見定めるまで届出を遅らせる慣行があり、戸籍の記載が汚れるのが嫌われた。
その結果、「届出のない妻の地位はまことに不安定」であり、嫁の立場は舅・姑の恣意にかかっていた。届出前であれば嫁を実家へ返しても戸籍には残らないという事情が利用されていた、と川島は指摘している。
「イデオロギーとしての『孝』」で川島は、伝統的な日本の結婚は何よりも「子を作り祖先の祭りを絶やさぬようにするという『孝』のための手段」だったと論じた。結婚は本人同士のためではなく、家と祖先に対する子の義務だったという理解である。家族論で述べた「孝」のイデオロギーが、結婚のあり方にまで及んでいたことになる。
川島は、事実婚にも法的効力を与える「事実婚主義」は解決にならないと考えた。必要なのは家族制度そのものをなくし、結婚と同時に届け出るよう人々を啓蒙することである。内縁を不当に破棄された場合は、「人格権侵害」による不法行為として救済すべきだとも論じた。論文の結論では次のように述べている。
われわれは,婚姻の即日届出が民衆の広い範囲にわたって可能になることを充分に期待し得ると考えるのであり,又あらゆる努力をしてそれを実現するのでなければ,民主化の基底たる家族生活の民主化は絶対に確立し得られないことを銘記すべきである。
この論文で川島は、『所有権法の理論』の観念性の議論を結婚に当てはめた。所有権が、実際に物を使っているかどうかとは関係なく観念的に定まるのと同じように、婚姻も「現実の事実そのものから一応切り離して観念的に定められなければならない」というのである。届出という法的な手続きによって、夫婦の地位を家の意向から切り離し、権利として保障しようとしたと読める。
その背景には、「法=権利の体系」という川島の法律観がある。『家庭の法律』(1955年)で川島は、「『力の支配』ではなくて、『法の支配』が、民主主義の本質であり、生命である」と書いた。論文「権利の体系」(1951年)では、権利は「独立して対抗しあう主体の間の力の緊張関係」を前提すると論じている。川島にとって法律婚は、夫婦を家族主義の「和」の中に埋没させず、権利の主体として立たせるための手段だったといえる。
この主張に対しては、杉之原舜一が1948年に「事実婚主義か法律婚主義か:川島教授の所説を読みて」(『人文』2巻2号)で「遺憾ながら,わたくしは教授の主張を理解し得ない」と反論した。杉之原は、婚姻を現実から切り離して「観念的に」定めるとはどういう意味かと問うた。そして、明治以来の届出主義は家と家との非近代的な結婚を温存する働きしかしてこなかったとし、「届出主義自身には独立して婚姻を近代化する力がない」と論じた。
杉之原の議論は少数意見にとどまり、戦後の新民法は届出婚主義を採った。なお当時は、保守政党の自由党の側が事実婚主義の改正案を出しており、民主化論者の川島が法律婚主義を唱えるという複雑な構図があった。近年の家族社会学では、川島の法律婚主義には「婚姻中心主義」の限界があったと指摘される一方で、その根底にあった「法=権利の体系」という考えは見直されている(阪井裕一郎「事実婚と民主主義」2012年)。
川島によれば、武士的な家の上下秩序は社会全体へ擬制的に広がるとともに、結婚を「孝」のための手段にした。その両方を断ち切る処方が、家制度の廃止と法律婚の徹底であった。
下の表は、川島が描いた家制度のもとでの現実と、それに対する川島の処方を、項目ごとに対照したものである。
|
項目 |
川島が描いた現実(家制度のもと) |
川島の処方 |
出典 |
|---|---|---|---|
|
家長と家族員 |
家長の命令は絶対。親や夫への「口ごたえ」「理窟」は尊厳を犯す大罪 |
家制度をなくし、個人を権利の主体として自立させる |
「日本社会の家族的構成」1946年 |
|
妻と子の地位 |
権力の「客体」であって「主体」ではない。父子・夫婦・兄弟姉妹に厳然たる「身分」の別 |
権利と義務が対応する「近代的民主的」な関係 |
1946年論文、「権利の体系」1951年 |
|
親子の道徳 |
子の「孝」は絶対・無条件。親の「慈」とは質的に異なる「身分」的な義務 |
「孝」を支配のイデオロギーとして批判 |
「イデオロギーとしての『孝』」1957年 |
|
家と社会 |
親分と子分、本家と分家、地主と小作に擬制的に拡大。家族国家で「孝」が「忠」へ |
「力の支配」ではなく「法の支配」を民主主義の本質とする |
1946年・1957年論文、『家庭の法律』1955年 |
|
「家族制度」 |
明治民法の戸主権として法制化され、教育勅語などで教え込まれた理念。言葉に三つの意味が混在 |
家制度の廃止、復活論への反論 |
「イデオロギーとしての『家族制度』」1957年 |
|
結婚の決め方と目的 |
「婚姻は父母の決定によって生ずる」という意識。結婚は祖先の祭りを絶やさぬ「孝」の手段 |
家の決定から結婚を切り離す(家制度の廃止) |
「事実婚主義と法律婚主義」1947年、1957年論文 |
|
婚姻の届出 |
嫁を見定めるまで届出を遅らせる慣行。届出のない妻の地位は不安定 |
結婚と同時に届け出る法律婚を徹底。事実婚主義は退ける |
「事実婚主義と法律婚主義」1947年 |
|
内縁の破棄 |
届出前なら嫁を実家へ返しても戸籍に残らない。嫁の立場は舅・姑の恣意次第 |
不当破棄は「人格権侵害」の不法行為として救済 |
「事実婚主義と法律婚主義」1947年 |
「川島の処方」の列のうち、「家の決定から結婚を切り離す」は、家制度の廃止という川島の主張からの整理であり、川島の文言そのものではない。
川島は、潮見俊隆・渡辺洋三らとともに入会権の実態調査を重ね、『入会権の解体』(共編、岩波書店)などをまとめた。「入会権の解体」(1961年)、「入会権の基礎理論」などの論文は『著作集』第8巻に収められている。入会権は、川島の研究の中でもとりわけ現地調査に依拠した分野である。
川島は入会権を、「村落共同体もしくはこれに準ずる地域共同体が土地――従来は主として山林原野――に対して総有的に支配するところの・慣習上の物権」と定義した。
川島はギールケの団体論に依拠して、入会権の構造を次のように整理した。
村落共同体が近代化するにつれ、昔ながらの入会稼ぎは形を変えていく。入会地を個人に分けたり、他人に貸して賃料を分配したりする形である。川島はこの変化を「解体」と呼び、「古典的利用形態たる入会稼ぎを内容とする入会権の形態変化」として理論化した。著作集第8巻の解題で川島は、この論文が入会権を入会稼ぎの権利としてだけ説明する従来の常識を破るものだった、と振り返っている。
川島は共同体による規制を批判する一方で、入会権の私権性――国家でも勝手に取り上げられない私有財産としての性格――を強く擁護した。近年はコモンズ論の側から、全員一致の原則や共同体の役割を見直す議論が出ている。最高裁平成20年4月14日判決は、慣習があれば全員一致によらない処分も有効とした。この判決に対しては、「川島武宜以来の入会権研究の到達点から外れている」という批判がある(采女博文「入会権の全員一致原則について」)。
所有権論、家族論、入会権論は、「前近代的な共同体から近代的個人が自立すること」という同じ軸の上に並んでいる。後の研究者も、川島法学の課題をそのように整理している。
つまり川島は、近代法の理念を論じるだけでなく、日本の家や村で実際に行われている「生ける法」を現地調査で確かめ、両者のずれを測った。そのずれを埋めることが戦後民主化の課題だというのが、川島の一貫した立場である。この発想は、後の『日本人の法意識』(岩波新書、1967年)にも引き継がれている。同書で川島は、日本人にとって権利や義務は「あるような・ないようなもの」で、はっきりさせることが好まれず、訴訟も避けられると論じた。
川島の仕事は戦後の社会科学の頂点の一つと評価される一方、その図式性も繰り返し指摘されてきた。
岩波現代文庫版『日本社会の家族的構成』の解説で、筒井清忠はこの本を「丸山真男、大塚久雄の一連の業績と並んで、いわゆる戦後近代主義社会科学の最高の成果群の重要な一角を構成する」と位置づけている(241頁)。家族論は戦後の民法改正(家制度の廃止)を支える議論となり、家族社会学にも大きな影響を与えた。『所有権法の理論』は民法学と法社会学の古典とされ、入会権論は今日の判例批評でも基準として参照されている。
これらの批判に共通するのは、「封建的」「前近代的」という言葉で多様な実態を一括りにしたという指摘である。それは川島の論じ方が、戦後民主化という切実な実践的課題と一体だったことの裏返しでもある。
川島の法社会学は、家族、入会、温泉権、契約慣行などをめぐる長年の現地調査に支えられていた。その調査の記録が、1968〜69年の東大紛争で失われたとされる。
Wikipediaは「学生による大学封鎖」と書くだけで全共闘の名を挙げていない。しかし時期は1968〜69年の東大紛争で、封鎖を主導したのは全共闘系の学生である。法学部は1968年10月12日に無期限ストに入っている。全共闘による封鎖の中で資料を失ったと理解してよいだろう。
失われた「調査メモ」の中身は特定されていない。ただし、著作集第10巻に並ぶ養子、家元、漁村の婚姻、農家相続などの論考や、入会権・温泉権の研究は、いずれも現地調査に基づく。そのため、家族論や入会権論の基礎となった記録が含まれていた可能性は高い(これは推測である)。
紛争後の川島には、新しい実態調査に基づく大きな著作は見当たらない。『日本人の法意識』(1967年)は紛争の前の仕事であり、1978年の『ある法学者の軌跡』は自伝的回想、1981〜86年の『川島武宜著作集』全十一巻は既発表論文の集成である。研究の継続に支障をきたし、実際には事実上放棄したという理解は、これらの事実と整合する。
ただし、Wikipediaのこの段落には出典が付いていない。根拠となっていそうなのは、本人の回想『ある法学者の軌跡』(有斐閣、1978年)か、著作集各巻の解題である。引用する場合は、この二つを図書館で確認する必要がある。
調査の途中で、川島が退官後に中央大学と同志社大学で教えたのではないかという問いがあった。これは『自動車の社会的費用』(岩波新書、1974年)の著者である経済学者・宇沢弘文(1928〜2014)との混同であった。宇沢は1989年に東大を退官して新潟大学、1994年に中央大学経済学部教授、2003年に同志社大学社会的共通資本研究センター所長となっている。川島については、両大学で教えたことを示す資料は見つからなかった。
本稿で確認できなかった事項は次のとおりである。
川島の著作は、戦後の数年間に集中している。まず1948年に『日本社會の家族的構成』(學生書房)を出した。同書は2000年に岩波現代文庫に収められている。翌1949年には主著『所有権法の理論』(岩波書店、1987年に新版)と『民法解釋學の諸問題』(弘文堂)を刊行し、1950年には『法社會學に於ける法の存在構造』(日本評論社)を著した。
1950年代に入ると、教科書と一般向けの著作が加わる。1951年に『民法講義』(岩波書店)、1954年に『結婚』(岩波新書)、1955年に方法論の代表作『科学としての法律学』(弘文堂)、1959年に『近代社会と法』(岩波書店)が続いた。1960年代には『民法総則』(有斐閣、1965年)と、広く読まれた『日本人の法意識』(岩波新書、1967年)を出している。
大学紛争と退官の後に出たのは、自伝的回想『ある法学者の軌跡』(有斐閣、1978年)、既発表論文を集成した『川島武宜著作集』全十一巻(岩波書店、1981〜86年)、そして『「科学としての法律学」とその発展』(岩波書店、1987年)である。
入会権については、潮見俊隆・渡辺洋三との共編『入会権の解体』(岩波書店)がある。入会権・温泉権などの論文は、著作集第8巻に収められている。
結婚論の節は、主に阪井裕一郎「事実婚と民主主義:視座の変容から考える現代的課題」『慶應義塾大学大学院社会学研究科紀要』74号、2012年によった。川島の文言の引用は同論文からの孫引きである。『結婚』と『結婚の理想と現実』の書誌は、「日本の古本屋」の出品情報(結婚、結婚の理想と現実)で確認した。
書き換え予定文書
川島は、結婚と同時に届け出る法律婚を徹底すべきだと論じた。事実婚にも法的効力を与える「事実婚主義」は、事実婚そのものが家族制度の産物である以上解決にはならず、かえって家族制度を温存するとして退けた。婚姻の即日届出を広く実現することが、家族生活の民主化、ひいては日本の民主化の基底だというのである。
├計量計測データバンク ニュースの窓-493-川島武宜 ― 所有権・家族・入会権の法社会学と、その後 2026年10月9日 · @横田俊英
├計量計測データバンク ニュースの窓-494-宇沢弘文 ― 数理経済学から社会的共通資本概念形成へ 2026年10月9日 · @横田俊英
├計量計測データバンク ニュースの窓-495-法学の川島武宜と経済学の宇沢弘文 ― 二人の業績と社会に与えた影響とその共通項 2026年10月9日
· @横田俊英
├
├
├
TOPへ
├
├
├計量計測データバンク ニュースの窓 目次
├
2026-10-02-news-493-materia-content-collection-493-
「計量計測データバンク」サイトマップ
measure and measurement data bank of saite map