盆踊りの郡上八幡と「やなか水のこみち」
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盆踊りの郡上八幡と「やなか水のこみち」 甲斐鐵太郎
「踊らずにいて ふるさとにひたりけり」。どうぞ踊ってください、と地元の人。ここは郡上おどりを教えるところです。
トマトはこの地方の名産。街が運営するプラザで朝取りのトマト、キュウリ、ナス、ほかに青々とした大きなホオバなども。この地のニンニクで飛騨牛を食べた宿の食事でした。
「やなか水のこみち」のすぐ近くにある一棟貸しの町家宿を利用した。新町通などに隣接し、郡上八幡を歩いて散策することができた。
美濃和紙の看板のある町家造りの引き戸には「踊らずにいて ふるさとにひたりけり」と色紙にしたためられていた。
郡上八幡には何故、水路が多いのか。江戸時代に発生した大火をきっかけに、城下町全体の「防火用水」として整備されたから。八幡城への登り口にも水路があった。
暑い夏に盆提灯。縁側を開け放しにして座布団を置く。白地の暖簾(のれん)が涼し気であり、足元には水路がある。
徹夜踊り会場の裏通りにはカキ氷を売るお店。向かいと隣は宿。ソフトクリームと踊り用の下駄を売る。
郡上八幡の中心部に位置する三ツ星シティーホテル「吉田屋」アユの塩焼きは2000円。ウナギを目当てに客が行列をつくる。浴場にウナギを蒸す匂いが立ち込めて往生したことがある。。
郡上市の街中を流れるのが吉田川である。長良川の流れの一部だ。吉田川の両岸には宿と民家がつらなる。
両岸に宿と料理屋が並ぶ吉田川は鮎釣りの名所。本流の長良川が増水で濁ってもこちらは澄んでいて鮎釣りができる好場所。宿から降りてこの場所で鮎釣りをするのが若いころの夢だった。
1970年に最終学年まじかの学生であった頃の友はこの郡上の出身。40歳になるころに奥さんと子どもを残して病で倒れた。郡上を訪れるのは供養のつもりでいる。遠い夏の思い出とともに郡上はある。
(タイトル)
盆踊りの郡上八幡と「やなか水のこみち」 甲斐鐵太郎
(本文)
郡上八幡には何故、水路が多いのか。江戸時代に発生した大火をきっかけに、城下町全体の「防火用水」として整備されたから。周囲を奥美濃の山々に囲まれ、吉田川や小駄良川など3つの川が合流する豊かな地形を活かし、370年前の寛永年間から町中に水路(セギ)が張り巡らされた。
大正時代にも再び大きな火災があったため、さらに防火機能が強化され、現在の美しい水緑空間が完成した。水路は防火目的だけでなく、昔から野菜の泥落としや食器のすすぎなど、日々の生活に不可欠なインフラとして住民に守られてきた。
湧水や山水を引き込む「水舟(みずぶね)」という仕組みがあり、1段目を飲み水、2段目を野菜洗い、3段目を食器洗いに使い、汚れた水は最後は川へ戻るエコな循環を作っている。これが独自の多段式水利用システム。
水路を堰き止める「セギ板」を使い、必要な時に水位を上げて共同で洗い場や初期消火に利用する文化が今も息づいている。
このようなことで岐阜県郡上市の郡上八幡は、街中に清らかな水路や湧水が巡る「水の都」「水のまち」として知られる城下町。環境省の「名水百選」の第1号に選ばれた「宗祇水」をはじめ、生活と水が密接に結びついた独自の文化が残る。宗祇水(そうぎすい)は石畳の泉で、昔から地域の人々の生活用水として親しまれてきた。
きれいな水路にたくさんの鯉が泳ぎ、夏にはスイカが冷やされる風情が残るのは、いがわ小径。長良川や吉田川の玉石を敷き詰めた、水と柳並木が美しいシンボル的な小道が、やなか水のこみち。
「やなか水のこみち」のすぐ近くにある一棟貸しの町家宿を利用した。新町通などに隣接し、郡上八幡を歩いて散策することができた。宿から盆踊り会場への道を歩いていると水路が流れる「やなか水のこみち」の両脇には夏を涼しく過ごすための文化が色濃く残されていた。美濃和紙の看板のある町家造りの引き戸には「踊らずにいて ふるさとにひたりけり」と色紙にしたためられていた。
1970年に最終学年まじかの学生であった頃の友はこの郡上の出身。東京の明大前の飲み屋でモンゴイカを美味しいと食べていた。40歳になるころに奥さんと子どもを残して病で倒れた。農協に勤めていた。郡上を訪れるのは供養のつもりでいる。遠い夏の思い出とともに郡上はある。
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